WHISKEY
酒の中ではウイスキーが好きです。
外で飲む時には、水割りかソーダ割り。
家で飲む時には、オンザロックかストレート。
飲み方の違いは単にめんどくさいから。
このウィスキー、実はスペルが2つ存在することにお気づきでしょうか。
「WISKEY」と「WISKEY」。
「E」が入っているかどうかの違いです。
これにはそのウィスキーメーカーのルーツが関係しています。
もともとウィスキーは、アイルランドが発祥とされていています。
海を渡ったスコットランドにその技術が伝わり、そのスコットランドを通じて世界に広まりました。このアイルランドの言葉とスコットランドの違いがスペルの差です。
アイリッシュでは「WISKEY」、スコットランドでは「WISKY」と表記します。
バーボンウィスキーで知られるアメリカですが、同じバーボンでもメーカーによって「KEY」と「KY」が使われています。
アイルランド系移民が作ったメーカーが「KEY」を使い、それ以外の移民が作ったメーカーが「KY」を使っています。
つまり、「KEY」は、アイルランドの誇りなのだと思います。
日本のウィスキーは、スコットランドで酒造りを学んだので、「KY」が使われています。
夜に聞きたい
The Blue NileのHATSというアルバム。1989年の発売。
1984年にデビューして既に35年を経過しているがほとんど表に出てくることが無い謎のバンド。
わかっているのは、スコットランドのグラスゴーでポール・ブギャナン(Vo,G)、ロバート・ベル(B)、ポール・ジョセフ・ムーア(Key)の3人が結成したこと。(しかもポール・ジョセフ・ムーアは、この2枚目のHATSを最後に脱退)。
発表したアルバムは、以下の4枚とソロ名義の1枚。
- A Walk Across the Rooftops (1984)
- Hats (1989)
- Peace at Last (1996)
- High (2004)
- (Solo名義)Mid Air(2012)
当時ラジオの仕事をしていた私は、定期的にレコード会社からサンプル版を頂いていました。その中の1枚がこのアルバムです。
CDは、一枚だけ買うと、何度も繰り返し聞くのですが、同時に複数枚買うと、一枚一枚を大切に聞かなくなってしまいます。大人になって金銭的な余裕が出来ると共に、いわゆる“大人買い”をして閉まった時など、特にそう感じるモノです。さらにその当時の私のように、毎月何10枚ものCDが送られてくる環境にいると、一層その気持ちになっていたのでは無いかと思います。
しかし、そんな環境の中、なぜかこのアルバムだけはその独特の雰囲気に引き込まれ、何度も何度も聞き返しました。そしてその前のアルバム、その後のアルバムを手に入れます。
アルバムのハイライトは2曲目の「The Downtown Lights」。
いずれのアルバムも大ヒットはしていませんが、ミュージシャンの間では評判をよんでいたようで、ロッドスチュワートもこの曲をカバーしています。
ミュージシャンズミュージシャンと呼ばれています。
アコースティックな生音とシンセサイザーを組み合わせた音作りは、今聞いても全く古さを感じません。少しけだるいヴォーカルの声と相まって、特に深夜に聞くと闇に溶け込む様な感じさえあります。
4枚とも、ソロの1枚も含めて名作ですが、この2ndアルバムは、この先もずっと聴き続けていく1枚だと思います。
Rockの源流であるBlues
Bluesとは、音楽形式の一種です。
起源は中世にアメリカ大陸へ連れてこられた黒人達が、奴隷労働の合間に奏でた音楽にさかのぼります。
基本的な形式としては、12小説で1周するコード進行。キー音(1度)に対し4度と5度の3コード。音階はブルーノートスケールなど、専門用語での解説はいくらでもありますが、これらは興味があればWikipediaなどで調べて下さい。
重要なのは、Bluesは、現代の音楽のベースになっているということです。
それまでの「ヨーロッパの白人達の音楽(クラシック音楽)」と現代のロックやポップスなどが、音楽形式が違うことはおわかりいただけると思います。
南北戦争の後、奴隷解放宣言を受けた黒人達は、自由を手に入れたとはいえ、財産が無いので今までの主人の下で小作人として働くことしか出来ませんでした。毎日の重労働を癒やす場所として酒場が出来ます。ジュークジョイントと呼ばれる掘っ立て小屋の様な安酒場です。酒場には音楽が必要で、今のような音響機材の無い時代、酒場の片隅で生演奏をするミュージシャンが生まれてきます。
〈ジュークジョイント〉
そのうち、評判を呼ぶミュージシャンも現れてきます。人気のあるミュージシャンは、音楽だけで食べていこうと、ギターを片手に各地を演奏して回るようになります。今でもブルースマンにギタリストが多いのは、旅回りにギターが手軽だったからです。
この時代の代表的なミュージシャンが、ロバートジョンソン、チャーリーパットンなどです。(レコードが生まれたのが1920年代なのでそれ以前のミュージシャンの音は残されていない)
Bluesは、酒場で発達してきました。酒場での音楽は、ダンスを誘発します。人々は安酒をあおり、ダンスをする事で、日々のストレスを発散させました。
Bluesにシャッフルビートが多いのもダンスミュージックとしての裏付けだと思います。
同じリズムだけでは飽きられるので、時がたつにつれ、リズムが強調されてきます。
1950年代ごろBluesのリズムが強調されてRhythm&Blues(R&B)が確立されます。(その少し前からJumpBluesなどのリズムが強調された音楽も生まれている)
その時代の代表的なミュージシャンが、レイチャールズ、サムクック、ジェームスブラウンなどです。
やがてチャックベリーなどのミュージシャン達が、R&Bの進化形としてRock'n'roll(R&R)を生み出します。この頃には、エルビスプレスリーなどの白人がRock'n'rollを歌い大ヒットすることで、黒人だけの音楽では無くなってきます。(プレスリーはデビュー当時、「黒人のように歌う白人の坊や」と呼ばれていました)
1960年代に入り、ビートルズが現れることで、その波は世界に爆発的に広がります。R&Rは、ビートルズによってRockと呼ばれるようになりました。
つまりBluesを起源にした音楽が、Blues→R&B→R&R→Rockと変化してきました。(途中、いくつもの枝分かれがおきていて、R&B→Funk→Hip Hopといった流れもあります。)
Rock Bandの編成は?と聞かれると、ドラム+ベース+ギター+キーボード(or ギター)と答える人が多いと思います。この編成を初めて構成したのが、Chicago Bluesのボス、マディウォーターズです。そのため、マディは「Rockの父」と呼ばれています。
デルタの万年筆
仕事上の書類をパソコンで書くようになって久しい。
ワープロ時代からなので、30年はキーボードで書類を作っていることになります。
しかし、道具好きとしては、筆記用具にこだわりがを持ちたい。
道具好きな筆記用具と言えば「万年筆」。
万年筆の発祥はフランスのウォーターマン社だとされていますが、モンブラン、ペリカン、ラミーなど、ドイツメーカーのモノは地味な外見とは裏腹に持つ喜びを満たしてくれます。
そんな中で、今日の話題はイタリアのデルタ社。
1982年創業の万年筆としては新しいメーカーですが、太陽をたっぷり浴びた「南イタリアのオレンジ」をイメージしたというオレンジの軸が印象的なとても美しい万年筆を作っていました。
DELTA DOLCEVITA MEDIUM
「作っていました。」と書いたのは、このデルタ社、2018年2月をもって廃業してしまったのです。加工職人が退職してしまい、製造が続かなくなってしまったということでした。1本だけですが、廃業前に手に入れられてよかったと思っています。
大きな文具店の万年筆売り場に行くと、ひときわ目を引いていたオレンジの万年筆がなくなってしまうことに残念です。
さて、その万年筆を使う理由。特徴を紹介しておきます。
・まず最大の特徴は、面倒くさい。
定期的なメンテナンスが必要で、インクの補充が必要。
・インクが乾くまで少し時間がかかる。
書いてすぐの文字に触ってしまうと、インクがにじみ、手が汚れます。
・値段が高い。
安い万年筆もありますが、持つ喜びを満たし、書き心地のいいモノは高額です。
と、欠点ばかりのようですが、メリットもあります。
・筆圧の使い方で、様々な文字の表情が出せる。
・インクの種類が豊富で、好きな色のインクを補充できる。
・さらさらとか、ぬらぬらと表現される書き心地は他の筆記具では得られない。
・持っていて、嬉しい気持ちになる。
最初に書いたように仕事上の書類は、パソコンを使って作成しているので、出番はメモ書きの時ぐらいしかないのですが、文字を書く。万年筆を使う。という行為を大切にしていきたいと思っています。
嫌煙の風潮
道具好きな私。
煙草を吸う上でも、時々パイプ煙草を楽しんでいます。
パイプ煙草。
今の若い人は「パイプ」という単語自体を知らない人が多い。
バーなどでパイプを取り出して吸おうとすると、ほとんどの女性には「それなんですか?」と聞かれます。中には「葉巻ですね。」と言う人もいて、いかにパイプを吸う人が少ないかという事だと思います。
頻繁に掃除が必要であり、パイプ用の煙草を扱っているお店も少ないので、正直な処、面倒くさい部分が多いのですが、パイプを取り出し→煙草を詰め→火を付ける。という一連の流れは一種の儀式のようで、心を落ち着かせてくれる。そして、豊かな香り。
数は減りつつも、無くなることが無いのは、そこに魅力を感じる人が多いのだと思う。
昔から酒と煙草はセットのイメージがあって、美味しいお酒を楽しむ時に美味しい煙草を合わせると幸せな気持ちになります。
一方、昨今の嫌煙ムード。
煙草は健康を害するという。これに異を唱える意見も多く、実際に煙草を吸いながら90歳過ぎまで長生きしている人もたくさんいます。
喫煙率は減っているのに肺がん者数は増えている。という医学データもあるそうです。
アルコールも害がある事を知られています。どうしてアルコールは嫌われないのでしょうか。
臭いが嫌い。これは個人差はあるものの、マナーとして考えると、不快に思う人がいればそれは配慮すべき事だと思います。飲食店で強烈な香水のにおいを振りまいている女性がいますが、それも同様です。私も喫煙者ながら、食事をしている時にすぐ隣で煙草を吸う人には嫌悪感をおぼえます。なので、飲食店では煙草を吸わないようにしています。
喫煙者が嫌われる要因もあります。数少なくなった喫煙所に行くと、吸いきった煙草のパッケージや飲み物の残骸などが捨てられています。吸い殻だけではなく、ゴミを捨てている人が目立ちます。これは喫煙者から見ても不快に思う人が多いでしょう。
マナーを考えて煙草を楽しむのであれば、問題ないように思うのですが。
喫煙者の意見も嫌煙者の意見もどちらも尊重されて欲しいものです。
ボヘミアン・ラプソティに思う
昨年の大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソティ」。
普段映画の話をしない人、音楽の話をしない人もがみな口を揃えて大絶賛していて、
あまりに評判が良いのでiMAXシアターで観てみました。
(ここから先はネタバレにもなりますので、まだ観てない人は注意してください。)
・・・。
勧めてくれた皆さんが「泣いた!」と言っていたので、泣くつもりで行ったのに。
・・・。
な、泣けなませんでした💦
それどころかどんどん興ざめしていく自分。私はひねくれているのでしょうか。
一番気になったのは、時系列。
LIVE AIDでのコンサートシーンに向けてストーリーが進んでいくのですが、映画ではコンサートの前にフレディは、エイズになったことを知り、そしてバンドのメンバーにも打ち明けます。
しかし、事実はフレディがエイズ検査を受けたのが1986年であり、LIVE AIDは1985年です。このコンサートの時にはフレディ本人も自分がエイズである事を知らなかったはず。映画では、ステージで歌うフレディを観客や家族が涙ぐみながら見つめるカットが印象的に使われていました。
観客を無理矢理泣かせようとする手法です。
また、QUEENを必要以上に持ち上げすぎている点も気になりました。
私は1960年〜70年代の音楽が大好きなので、もちろんQUEENも好きなバンドの一つです。しかし「好きなバンドをランク付けして」と言われた場合、個人的にはQUEENは30位までに入るかどうかの存在です。1960年代から80年代にかけて、イギリスだけではなく、アメリカでもビックアーティスト&ビックヒット曲が目白押しの時代です。
LIVE AIDは、当時のイギリスとアイルランドの人気バンドが集結した音楽フェスティバルです。映画ではQUEENのステージにしか触れていませんが、既にピークを過ぎていたQUEENとヒットチャートを賑わしていたバンドではどちらの観客が盛り上がったかは明白なのではないでしょうか。
さんざん悪く書いてしまいましたが、フォローも少し。
スタジオでのレコーディングシーンが頻繁に出てきます。
「Another One Bites the Dust」の印象的なベースギターのリフだけを何度か繰り返した後、大音量で完成形の曲が流されます。しかし、それはわずか10秒程度で、次のシーンへと移ってしまいます。
「We Will Rock You」でも同様に、スタジオで足踏み(ドンドン)+手拍子(チャ)を繰り返した後に大音量で完成形の曲が流されます。そして短い時間で次のシーンへ。
これを何度か繰り返すことで、観客のフラストレーションをため込んでおいて、クライマックスの大観客を前にしたステージシーンで一気に曲を解放します。
この解放時の気持ちよさがこの映画の評価になっているように感じました。
なので、細かいことを考えずに観たら「素晴らしい映画」という評価になるのでしょう。
個人的なロック系のドキュメンタリー映画ベスト3は、この3本。
・Let It Be(The Beatles)
・Last Waltz(The Band)
・Doors(Doors)
近いうちにレビューを書きたいと思います。
生涯音楽と共に
ホキ德田さんという方がいます。
今年で御年8○歳。(ご本人の希望で詳細はぼかします。)
六本木に「北回帰線」という名のお店を持ち、毎晩、ピアノ弾き語りをされています。
3歳からピアノを始めたというその腕前は、魔法の様なテクニック。
本人曰く「ピアノを弾くのと歩くのは同じ」というほど、自身の身体の一部であるかのように鍵盤を操る姿には驚きを覚えます。80年以上もピアノを弾いているとその域にまでなれるのでしょうか。
ホキさんは、1958年に芸能界デビューし、ミュージカルホールや映画、テレビで活躍後、1966年ロサンゼルスに渡り、現地のホテルで弾き語りをしている時に文豪ヘンリーミラーに出会い、結婚に至ります。
年齢差46歳。
そのヘンリーミラーの代表作がホキさんのお店の名前である「北回帰線」。
ミラーさんの友人は幅広く、ピカソ、ダリ、ヘミングウェイ、ジャックニコルソンなど多くのアーティストや俳優などが次々と自宅を訪れていたそうです。
今でもドラマチックな人生と常に共にあった音楽を愛し、六本木の夜でピアノを弾いています。
あと何年この素晴らしいピアノが聴けるかわかりませんが、いつまでもお元気でいて欲しいと思います。
北回帰線
東京都港区六本木2丁目3−9 ユニオン六本木ビル1F